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山猫/hackerのコメント

rating44.6000

山猫へのコメント

採点

★★★★★

推薦数

+1

コメント

「全ての欲望は官能的な死に至るためだ」

レビュー

久しぶりに、この映画を再見しましたが、主人公(バート・ランカスター)の口から、このような趣旨の言葉(正確な訳ではありません)が発せられるのが、一番の「発見」でした。それはもちろん、後年の『ヴェニスに死す』や『ルートヴィヒ』につながる世界観なのですが、すでにこの時代(1963年製作)に、それは存在していたのですね。そういう意味でも、ヴィスコンティの扱うテーマは首尾一貫していたわけです。そう考えると、この作品も、表面上のテーマは、貴族社会から近代社会へ移る過程で、両方の立場に所属するシチリア名門貴族サリーナ公爵の淡々とした悲哀を描いているようですが、その実は、イタリア統一国家誕生の「変革の時代」に、どんなに栄華を極めた人間にも確実に訪れる死を、達観しながら待っている貴族を描いたものと言ってもよさそうです。

実際に、ラスト近くの舞踏会で気分が悪くなった主人公が、早朝の町を独りで歩きながら、教会の早朝ミサの鐘に膝まづく姿は、主人公の侵されている病が死にいたるものであることを暗示しているようです。その直前に、脱走兵たち(旧革命軍)を銃殺する音を、主人公の甥(アラン・ドロン)と、婚約者(クラウディア・カルディナーレ)と、彼女の父親である新興ブルジョワが同じ馬車で聞くことと、併せて考えると、一層その感があります。更に、「変革の時代」と言っても、主人公が述懐するように、「要するに、あいつらは貴族にとって代わりたいのだ、支配層が変わるだけだ」という、結局のところ本質的なことは何も変わらないだろう、という彼の達観は、一時は共産党員であったヴィスコンティ監督の政治思想への決別のようにも聞こえ、これ以降どんどん内向きに思考が進んでいくことになるわけです。

しかし、そうは言っても、ラスト近くの舞踏会の場面は、素晴らしいとしか表現しようがありません。この映画で描かれる貴族の生活もそうなのですが、貴族出身の監督のように、実際に体験した者でないと描けないリアリティーがあります。あと50年くらいしたら、この作品は疑似ドキュメンタリーとして知られるようになるのではないか、などとどうでも良いことを考えてしまいました。そして、クラウディア・カルディナーレとワルツを踊るバート・ランカスターの姿の美しいこと!映画を通して、彼の立ち振る舞いは、細かいところまで実に貴族らしい優雅さに満ち溢れているのですが、極めつけが、このダンスです。これを観るだけでも、3時間の長丁場を過ごす価値があると言っても良いぐらいでしょう。このダンス・シーンは、h平民出身のクルディナーレが結婚する真の相手はアラン・ドロンではなく、彼女にとって貴族社会を象徴するバート・ランカスターであることを示す重要なものですから、これが美しくないと困るのです。私が、この作品を最初に観たのは中学生の時で、当たり前ですが、ちっとも面白くなかったのですが、それでも、この踊りだけには、強烈な印象を受けたのをよく覚えています。

色々な点(特に、監督と俳優)で、もう二度と作られないであろう映画です。映画ファンたるもの、死ぬまでに観なければならない作品の一本です。

評者

hacker

更新日時

2008年07月20日 22時12分

コメントの推薦

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